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硝子戸の外

一年近く前に「硝子戸の中(うち)」という記事を書いたがあの表題は適当ではなかった「硝子戸の外」とすべきだったのかもしれないとこのごろ思えてきてどこか気持ちがすっきりしないでいた。そんな気分のなかで、ホソコバネナガカメムシという笹の葉に普通に見られる5ミリほどの小さなカメムシが脇役で登場するBSの自然科学番組を見た。その番組で18世紀イギリスのウィリアム・カービーという昆虫学者が「自分の庭にいる昆虫だけを調べても人生を楽しませるには充分である」とその著作に書いていることを知った。

カメムシファンのぼくは、なるほど死ぬほど昆虫が好きならきっとそうだろう、と思った。でもそれは、庭にいる昆虫を学術的な目で調べるだけで楽しいのではない。昆虫の動き回る様子に時には死体に生物学を離れていろいろなものを見て思索をめぐらせるから人生を楽しませるには充分なのだ。そして正岡子規を思った。病気で自由に外に出られなくなり室内から終日庭を眺めて過ごすしかなくなった子規は自分にとって庭が世界のすべてと定めたが庭は子規を充分に楽しませた。20代前半に読んで記憶も薄れたが司馬さんの「坂の上の雲」にたしかそんなことが書いてあった。子規は脊椎カリエスを患いその後半生はずっと「硝子戸の中」の人だった。 

 ぼくは一年前の「硝子戸の中」で硝子戸の中にはいなかった。毎朝ダイニングの硝子戸から庭へ出てウォーキングに行く。だから硝子戸の外にいるのだった。しかしフィジカルはそうでもメンタルはすなわち気分は硝子戸の中にいて自分以外にはあまり関係のないつまらぬことをホームページに書いていた。それはその前もその後もそして今もそうだ。“自分以外にはあまり関係のないつまらぬこと”とは“自分のために”という意味である。 2026年9月18日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)



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